ご心配おかけました。
皆さんはその後大丈夫ですか??
私自身は茨城県の日立市で被災していたので、
そこの状況しか分からないし、お伝えできませんが、
少しでも被災地の方々がどうされているのかお伝えしたく、
ブログの趣旨とは違いますが、これを書いています。
私は昨日の朝3時に日立を出て、9時過ぎに上原に帰宅出来ました。
高速道路も電車も不通だったので、
3時間並んでガソリン3000円分買ってギリギリで一般道で帰ってきました。
それでも私はラッキーだったのだと思います。
選んだ給油所によってはガソリンがもうないから、
次は届くまで待たなきゃならないという人達もたくさんいます。
何日も車の中で並んでいるそうです。
車にガソリンが残っていないから、他の給油所へ動けないのです。
日立ではハイオクは比較的残っていて、レギュラーガソリンが不足しているようです。
スタンドの方が言っていました。
日立では東京と違ってガソリンがなければ、動けません。
水ももらいにいけないし、食べ物も買いにいけません。情報も集められません。
出来るだけ速やかに、被災しているエリアにガソリンを届けてあげて欲しいです。
被災後4日間、水もガスも電気も止まってたし、携帯もつながらないし、
充電も出来ず、PCも見れず、日立の家で電気が戻った昨日の18時過ぎに、
被災後はじめて宮城や福島の状況をテレビで見たような状態。。
遅れて届く新聞では見てたけれど、映像で見た宮城の大惨事に驚きました。
食料を買うのに、あるいは水を汲むのに数時間並ぶので、
その間に人伝えに情報収集をします。
携帯はもちろん3日目までは繋がりにくく、
情報源の携帯メールも届くまでに時間差がありました。
不安を煽る怖がらせるようなものもたくさん送られてきます。
被災地での私達の毎日は水を汲みに行って、食料を調達して、
知人友人の家の片付けのお手伝いや、安否の確認の手伝いをする。
実家には常時15人前後の人が出たり入ったりしていたので、
ガスコンロで食事を作る。溜めた水を工夫して食器を洗う。
夜は17時過ぎると暗くなるので、ロウソクで生活する。
電化の家だと普段は便利ですが電気がストップするとすごく寒いです。
ひとつだけあった灯油ストーブが大活躍でした。
カイロもコンロボンベも電池も、もちろん手に入りません。
顔を洗うのも歯を磨くのも、食器洗うのも、もちろんトイレに入るのも、
水を外からもらってこなきゃならないので、工夫が必要です。
日立では被災していても避難所行かず車で生活している人がたくさんいました。
家が壊れているわけじゃないのに、どうして?と聞くと、
地震の瞬間に家の中のものがバラバラ落ち、それを見た子供が怖がって家に入れないと言います。
エンジンをかけるとガソリンが減るからと寒い中で生活しています。
車がなくて食べ物も情報も集められないご老人もたくさんいました。
私の90歳の祖母が、近所で一人暮らしをしている100歳のおばあちゃんの心配をして、
「放って行けないから避難したくない。ここから離れたくない」と、とても強い余震の中、
言い張る姿が印象的でした。隣のお兄さんが「ご家族に連絡を取ったから大丈夫だよ。。」と、
おばあちゃんの手を引いて言ってくれたので、避難させることができました。
新聞やテレビなどには義援金がこんなに集まっています。とか、
企業や財界人、有名人が色んな物資をこんなに寄付していると、毎日やっていますが、
少なくとも日立の私の周りの被災者には、ペットボトルの水1本、おにぎり一個も支給されていません。
情報も何も回ってきません。サイレンとともに、「支所で水を支給しています」という放送だけでした。
被災したもの同士があるものを出し合って、お互いを助け合っている姿も印象的でした。
弟の友人達はチームを組んで被災者のフォローをしていました。
水を汲んで、配って回るチーム。
北茨城エリアや日立港付近で波を被った友人の家に片付けに行くチーム。
落ちた瓦に雨漏りしないようにブルーシートをかけに行くチーム。
手に入った少ない野菜や乾物、仏壇用のロウソク(キャンドルじゃないの)を、
これ使ってー。と届けてくれる。
プロパンガスの家の人が土鍋でゴハンを炊いて持ってきてくれる。
本当にありがたかったです。
私自身も出来る事はしてきたつもりですが、微力過ぎて悲しくなりました。
日立は宮城や福島ほどの被害はないのですが、
かえって情報もフォローも何もないので、大変だと思いました。
避難所みたいに何の支給もないし情報もない。
電気はやっと戻りましたが、水が戻るメドがたってないそうです。
今は山の中に湧き水を汲みに行っていますが、
福島原発から100キロ圏内にあるので、今後が不安です。
私に何ができるのか、考えながら帰ってきました。。。
娘がひとり東京に残っているのでなんとしてでも帰ってきたかったのですが、
帰ってきたら思った以上に東京は何も変わっていないので、驚きました。
計画停電などで交通機関は大変だと思いますが、
丸一日経った今、不便で怖かった日立での生活は夢の中のようです。
私が被災したのには意味があるのだと思います。
昨日5日ぶりにお風呂に入りながら、
残してきた家族や助け合って声かけ合ってきた人たちに申し訳ない気持ちになりました。
顔を洗いたい、お風呂に入りたい、頭を洗いたいと思っていても、
日立で被災している皆さんは「宮城で被災された方々に比べたら私たちは本当に恵まれているよね」って、
「頭がかゆいくらい何でもないよねー」って、言っていた皆の為に、
せめて水を使わないシャンプーを集めて送ろうとしたのですが、
昨日上原近辺のドラッグストアを4件、スーパーを回ったけど、品切れでした。
友人、知人に声をかけて女性のための衛生品やカラダを拭くための物を
集めて送ってあげようと思っています。
日立はまだ宅急便が届かないエリアになっているのですが、
自分に何ができるか良く考えて行動したいと思います。
余震が続く毎日ですが、皆様もどうぞ気をつけてお過ごしくださいね。
マミレヴィ