新年は実家でゆっくり過ごし、昨日東京に戻りました。
快晴で、常磐道を走っていたら富士山が綺麗に見えて、
良い年の幕開けになりそうだと思いました。
今日は母の事を書きたいと思います。
お正月には親戚が集まり、賑やかに過ごすのが我が家の習わしです。
母が約20人分の昼と夜の食事を作り、皆んなでゲーム大会をして大笑いし、
帰りにはそれぞれの家族に好物のお土産も持たせます。
全員の好きなものを覚えているところにも驚きます。
子供たちはお年玉をいただく前に皆の前で、
新年のご挨拶と一年の抱負を発表するのですが、
小さかった子供たちが中学生になって、
勉強や部活に精を出している話を聞いていると、
明るい未来に向かって夢を持つ子供たちの姿が頼もしく見えたり、
小学生の時には大声で抱負を語っていた子供が、
思春期になって恥ずかしさが芽生えて、
ぶっきらぼうなご挨拶になっているところに、
成長が感じられて微笑ましく見ています。
また、時間の経過が早いことにびっくりさせられます。
同時に、集う大人たちの加齢も見えるので、
いつまでこうして楽しく集まれるのかな〜と、
寂しい気持ちにもなります。
お盆とお正月の集まりは母が楽しみにしている行事なので、
できる限りサポートして続けていけるといいなぁと思いますが、
どんなに頑張っても母のように仕切ることはできないと思います。
若い頃は専業主婦の母の偉大さに気がつきませんでしたが、
どんなことがあっても家族第一で文句を言うこともなく、
何があっても笑顔で家を回していくことの難しさを、
この年になって、やっと心から理解できるようになりました。
何歳になってもみんなで母に甘えて、心の均衡を保っている私たち家族。
社会に出て第一線で働くのは大変なことですが、
どんなことがあっても、プライオリティの一番は家族であり、
いつでも味方でいてくれる母のおかげで、
私はこれまで仕事を続けることができました。
アリサが子供の頃、急な発熱で保育園に預けられない。
私も予約があるので仕事を休めないとき、
電話するといつでもすぐに日立から電車で駆けつけてくれた母。
結局、14年間も日立でアリサの母代わりをしてくれました。
私が育てるよりよっぽど良い子に育ったと、確信しています。
思春期のアリサと私の心の橋渡しをしてくれた事にも感謝です。
離れていても娘との良好な関係が保てたことは、
母のフォローのおかげ無しには難しかったと思います。
母は40台半ばでもう一度、4歳の子育てをやる事になり、
自由がなくなってしまったのに、私が一度も文句を言われなかった事にも、
今更ながら感謝の気持ちでいっぱいです。
「偉大にも程がある」と、思い出話をしていて、
母の存在の大きさをしみじみ振り返った今年のお正月でした。
年末には母の左目が失明する事がわかりショックでしたが、
時期を遅らせる少ない可能性にかけて、手術を受ける事になりました。
「何も手を打たずにいるより、やってみて失明するなら仕方ない」
そう言っていました。
病弱な母の身体の事が心配ですが、
家族の要である母が大好きな、楽しいお正月の行事が続けられるよう、
できるだけ元気でいられるように、支えていきたいと思います。
マミレヴィ
https://www.mamileavey.com