2018年1月5日金曜日

母の事を書きます

新年は実家でゆっくり過ごし、昨日東京に戻りました。
快晴で、常磐道を走っていたら富士山が綺麗に見えて、
良い年の幕開けになりそうだと思いました。

今日は母の事を書きたいと思います。

お正月には親戚が集まり、賑やかに過ごすのが我が家の習わしです。
母が約20人分の昼と夜の食事を作り、皆んなでゲーム大会をして大笑いし、
帰りにはそれぞれの家族に好物のお土産も持たせます。
全員の好きなものを覚えているところにも驚きます。

子供たちはお年玉をいただく前に皆の前で、
新年のご挨拶と一年の抱負を発表するのですが、
小さかった子供たちが中学生になって、
勉強や部活に精を出している話を聞いていると、
明るい未来に向かって夢を持つ子供たちの姿が頼もしく見えたり、
小学生の時には大声で抱負を語っていた子供が、
思春期になって恥ずかしさが芽生えて、
ぶっきらぼうなご挨拶になっているところに、
成長が感じられて微笑ましく見ています。
また、時間の経過が早いことにびっくりさせられます。



同時に、集う大人たちの加齢も見えるので、
いつまでこうして楽しく集まれるのかな〜と、
寂しい気持ちにもなります。

お盆とお正月の集まりは母が楽しみにしている行事なので、
できる限りサポートして続けていけるといいなぁと思いますが、
どんなに頑張っても母のように仕切ることはできないと思います。

若い頃は専業主婦の母の偉大さに気がつきませんでしたが、
どんなことがあっても家族第一で文句を言うこともなく、
何があっても笑顔で家を回していくことの難しさを、
この年になって、やっと心から理解できるようになりました。
何歳になってもみんなで母に甘えて、心の均衡を保っている私たち家族。

社会に出て第一線で働くのは大変なことですが、
どんなことがあっても、プライオリティの一番は家族であり、
いつでも味方でいてくれる母のおかげで、
私はこれまで仕事を続けることができました。

アリサが子供の頃、急な発熱で保育園に預けられない。
私も予約があるので仕事を休めないとき、
電話するといつでもすぐに日立から電車で駆けつけてくれた母。
結局、14年間も日立でアリサの母代わりをしてくれました。
私が育てるよりよっぽど良い子に育ったと、確信しています。

思春期のアリサと私の心の橋渡しをしてくれた事にも感謝です。
離れていても娘との良好な関係が保てたことは、
母のフォローのおかげ無しには難しかったと思います。

母は40台半ばでもう一度、4歳の子育てをやる事になり、
自由がなくなってしまったのに、私が一度も文句を言われなかった事にも、
今更ながら感謝の気持ちでいっぱいです。

「偉大にも程がある」と、思い出話をしていて、
母の存在の大きさをしみじみ振り返った今年のお正月でした。

年末には母の左目が失明する事がわかりショックでしたが、
時期を遅らせる少ない可能性にかけて、手術を受ける事になりました。
「何も手を打たずにいるより、やってみて失明するなら仕方ない」
そう言っていました。



病弱な母の身体の事が心配ですが、
家族の要である母が大好きな、楽しいお正月の行事が続けられるよう、
できるだけ元気でいられるように、支えていきたいと思います。

マミレヴィ
https://www.mamileavey.com