98歳でした。
祖母の思い出はたくさんあります。
不機嫌な祖母の姿を見たことがありません。
18歳まで一緒に暮らしていましたが、
可愛がってもらった記憶と
笑顔の印象しかありません。
カラオケが大好きで、
親族がたくさん集まるお正月などには、
いつも上機嫌に歌っていました。
昨年の大晦日には、
お正月に歌う曲の練習をしていたくらい元気でした。
明るいムードメーカーでよく笑う、
可愛いおばあちゃんは、
家族みんなに愛されていました。
最期までそうでした。
入院してからの25日間、
毎日家族が入れ替わり立ち代わり会いに行き、
病室で一緒の時間を過ごしました。
毎回目が覚めると、
「わざわざありがとうね」
とみんなを気遣ってくれました。
幼い頃、
体が弱くて家にいることが多かった私に、
祖母はよくマッサージをしてくれました。
暖かい縁側に座布団並べて、
庭を眺めながらウトウトするのが好きでした。
気持ち良くて安心できて、
子供の頃の素敵な思い出です。
人の手の暖かさで心と体を癒す。
私がセラピストを志したきっかけは祖母でした。
私がプロになって起業した後、
お返しにマッサージをしてあげると言っても、
疲れているだろうからと言って、
反対にマッサージしてくれました。
優しい祖母でした。
若い時に奉公に出されて、
とても苦労をしたそうだけど、
晩年は歌や踊りや旅行など、
人生を楽しんでいました。
大変なときにも笑顔で乗り切りました。
客観的に見てもみんなに愛されて、
幸せな人生だったと思います。
大人になった今だからわかる。
いつも笑っていられるってすごい事です。
祖母を失ったばかりだからでしょうか、
亡くなった志村さんの最期の時を、
報道で拝見するたびに、
看取ることのできなかった家族の心情を思い、
切なくなります。
祖母は今頃天国で、
志村さんに「アイーン」ってやってみせているかもしれません。
久しぶりだというのに、
とりとめのない
センチメンタルな投稿になってしまいました。
マミレヴィ